●まんがによるまちおこしシンポジウム報告●
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

【パネルディスカッション】
「まんがによるまちおこし」
(4)

牧野:次は、木下小夜子さんに「広島国際アニメーションフェスティバル」についてお話を伺うわけですが、20年前、まだまんがのプロデューサーはおろか、女性のプロデューサーはほとんど考えられなかった時にその道を開かれ、しかも世界トップクラスの国際フェスティバルにまで育てられたわけです。その秘密といいましょうか、どういうことがポイントになっているのかということを是非お話いただきたいと思います。

木下小夜子

木下小夜子
(広島国際アニメーションフェスティバル副会長/フェスティバルディレクター)

 木下です。実は、私の連れ合いがゲバゲバ、カリキュラマシーンとか色々コマーシャルとかアニメーションをやっているんです。テレビとかの観客を相手に考えて物を作るということをしてるんですが、アニメーションという表現メディアを持ってるんだから、本当に自分たちの作りたいものを作って認めてもらいたいという作家魂がありました。それで作品を作りまして、1972(昭和47)年に幸いなことにニューヨークでグランプリをとったんですね。すると翌日から、ワシントンポスト、ニューヨークタイムスとかいろんなのが来て、それはスターになったみたいで、これで作家で食べていけるっていう感じだったんです。

 日本に帰ってきましたら、アニメーションそのもの、アニメーションで色々表現する方法があるんだということがまだまだ知られていないという壁にぶつかりました。じゃあ、アニメーションを作ってるだけじゃなくて分かってもらわなければ、自分たちの生きていく道っていうのが開かれないんじゃないか、そのためには何をしたらいいんだろう、と考えた時に映画祭っていうのがあったんです。映画祭っていうのは世界中から素晴らしいアニメーションが集まってきて、それを皆さんに観ていただいて、こんなものであるっていうことが分かってもらえる。作家の人たちには発表する場所ができるっていうことで、アニメーションの映画祭をするのがいいんだよということになったんです。

 思ったらすぐ実行に移す方ですから、即、日本中、文字通り東奔西走していろんな所に行って話しました。それでなんぼ儲かるの?っていうことがまずあって、今、儲からなくても、将来儲かるっていう話をして歩いたんです。そんな中で6年たちまして1978(昭和53)年なんですけど、私たちは広島をテーマにした作品を作りたいなと思ったわけです。それは「ピカドン」っていう作品です。とにかく作っちゃって、広島に送りました。一月ばかり返事がないんで、もう駄目なんだろうと思っていたら、突然、新聞社から電話がかかってくるわ、テレビ局はやって来るわで、どうしたんだろうって思ったら、広島で1か月後に上映の機会があったらしいんですね。

 そしたら今度は、こんな作品を作ってくれたんだから何かお礼がしたいよっていう市民の人が出てきたんですね。その時に、「こんな作品で驚いていちゃいけない、もっと世界中には素晴らしいアニメーションがいっぱいある。そういうのをみんなに分かってもらいたい、そのためにはアニメーションの映画祭をしたいんだ」って話をしたんです。そしたらじゃあ一緒に根回しをしようかという話になって、広島の町をターゲットにして、さらに6年間、“夢追い人”と言われながら根回ししました。

 結局12年間かかりましたね。1984(昭和59)年にじゃあやるぞってなったんですが、ちょうどその頃、市は「メッセコンベンションシティ構想」というのをぶち上げてたんですね。構想は上げたんだけれど何をやっていいか分からない、そういえば何か言ってた人がいたって、電話かけてきたんです。この催しは被爆40周年を記念してスタートしたものです。その頃すでに、国際アニメーションの協会っていうのがあり、連れ合いがそこの理事をしていたこともあって第1回大会から公認をもらって、世界に公募し、作品を集め、セレクションして、本大会でグランプリ、広島賞とか選ばれるという映画祭が出発したわけです。

 私は、今でも女ヤクザって言われてるんですけど、とにかく広島市で一番根性入れてやっていかないといけなかったんです。というのも、国際でしょ、アートでしょ、よそ者でしょ、地縁_縁もない状態でもってアニメーションを通してまちづくりをするんだっていうんですからね。まちづくりといっても、広島の場合は何もないですね。水軍はありますけど早く言えば海賊だから、あんまり自慢にもならない。原爆、あれはもらったもので、もらいたくないもの、これも自慢できるものでも何でもない。でも、原爆は宿命として私たち広島市はもらったんだ、だから平和を作っていく礎になる宿命をここで負ったんだから、アニメーションという文化を通してそれで世界に貢献していく広島でなければいけない。そのことによって町の人たちがみんな生き甲斐をもってくれて、そして異文化交流がどんどんできるようになればいいんじゃないかということで推進してるわけなんです。

 今、皆さんのところと違う点ですけど、うちは箱がないんです。ソフトは入りきれないほどある、箱がほしい。こんな不経済な時なので、建物はもちろん作るなんてお金はありませんから新しくなくたっていい、どこかないかって一生懸命訴えているところなんです。

 バブルがはじける前、インスティテュート美術館とかミュージアムとかシアターとか学校とかあらゆる総合的な施設を作る予定で、市は2,000万ばかり調査にお金もかけてます。今のところペンディングという形ではありますが、まさしくマルチメディアの構想で、世界のアニメーションのセンターになるという構想を立てまして、それを推進していっているところです。

戻る ▲ページトップへ 次へ
トップページに戻る