大竹芳明(国際漫画フェスティバル・インさいたま担当):
さいたま市市民文化部文化振興課の大竹と申します。この中では唯一、行政の職員ということで、そういった視点からのお話ができればと思っています。
さいたま市は埼玉県の県庁所在地で、合併の結果、全国で10番目の人口105万人になりました。さいたま市とまんが文化のかかわりは、1966(昭和41)年に日本で初めての公立のまんが施設「漫画会館」が建設されたことから始まりました。この施設は日本近代まんがの基礎を築いたといわれております北沢楽天さんの自宅跡に建てられました。北沢楽天さんは明治・大正・昭和の3代にわたって近代まんがの黎明期に活躍された作家で、日本漫画資料館館長の清水勲さんの言葉によれば、日本で初の職業まんが家として活躍を始めた方だと言われております。
1876(明治9)年に生まれた楽天さんは、幼少の頃から非常に図画に秀でた才能を発揮され、1899(明治32)年23才の時に福沢諭吉さんの創設された新報社に招かれ、そこのまんが記者として活躍を始めました。同時に日本初のカラーまんが雑誌「東京パック」も創刊して、最高時、月10万部も売り上げをしたと聞いております。新報社をやめた後も、自分の自宅アトリエを開放して後継者を育てたというふうに聞いております。1957(昭和32)年に亡くなりましたが、その時に遺族の方からその旧居跡、居宅と作品が市の方に寄付されました。その居宅跡に漫画会館をつくり、まんが文化を育てていこう、楽天さんの遺志を引き継ごうということで、事業を始めました。
当時大宮市は21世紀を目前に迎えて、「夢ひろがるまち大宮」というスローガンを決めて、自立都市をつくりあげようと目指していました。そのためには都市のイメージの創出や都市の個性作りというのが必要ということだったんですが、すでに漫画会館でいろいろまんがに関する事業を行っていた関係で、そういう文化的な資源を活用していこうということを考えました。漫画会館は1966(昭和41)年のもので、すでに規模、内容等がかなり不足していて、漫画会館を引き継ぐための新たな施設を考えようということで「ユーモアセンター」というものを構想したんです。
なぜ「漫画」から急に「ユーモア」になったかといいますと、当初の構想は市立の漫画美術館をつくろうというものだったんですが、市議会の議員の方々がまんがの先進地であるヨーロッパ各国のまんが関連の施設に視察に行かれたところ、まんがだけじゃなくてユーモアというのを捉えて、まんが文化の振興に使っているということで切り替えたわけです。「ユーモアセンター」の調査研究の検討会の中で話題になったのが、箱物主義といいますか、市役所というのは施設を作ってから中身をどうするかというふうに考える部分が多かったんですが、できれば施設ができる前にソフト事業を充実させていこうということで、まず実行委員会を作ろうということになりました。それが「ユーモアセンター設立準備実行委員会」で、私のいます市民文化部の文化振興課が事務局をやっております。ユーモアセンター設立に向けたソフト事業の構築、まんが文化の振興事業、特にまんがというテーマから国内外のまんが家の関係機関、ネットワーク作りというのが目的でした。今現在、その目的を達成するために「国際漫画フェスティバル」「ユーモアフォトコンテスト」「アジア漫画展」という3つの事業を軸に進めております。
「国際漫画フェスティバル」は、国内外のまんが家の方々に招待形式で作品の出品をお願いしています。今回通算13回になるんですが、大体毎年50か国300名くらいの方にお願いをし、30か国350点くらいの作品を寄せていただいております。まだユーモアセンターができていないということで、まずは一枚漫画というものを知ってもらうことを目的に、あえて美術館等の展示室ではなくて、JRの駅の近くの商業ビルの1、2階にあるオープンスペースを利用して展示をしております。閉鎖された空間じゃないということで、6日間で3万人前後の方々が訪れます。
「ユーモアフォトコンテスト」ですが、これはユーモアをテーマとした写真のコンテストです。現在は、福岡県福間町で「又(また)ぜーさんのユーモアフォトコンテスト」があるんですが、それまでは全国唯一のユーモアをテーマにしたフォトコンテストとして開いていました。これは国内外700名以上の方から1,500点あまりの写真を応募いただいてます。その中から84点の作品を展示しまして、これも同様に美術館ではなく、JRの駅のコンコースをお借りして、「国際漫画フェスティバル」と同じ期間に展示をしております。このコンテストではユーモアの質が評価されるということで、幼い子どもさんからかなり高齢の方までたくさんの参加があり、入賞する方も多岐にわたっておりまして、ご好評をいただいているところです。
「アジア漫画展」ですが、国際交流基金が毎年開催している同名の展示会の作品を借り受けて展示している事業です。以前は、アジアのまんが家を先の国際交流基金が招聘した際に市内に招きまして、ホームステイとか、うどん作りとかを行い、展示するだけではなく市民との交流の中でまんがを普及させていこうとしていました。
「国際漫画フェスティバル」の際のアンケートを見ますと、「毎年非常に楽しみにしている」とか「こういったまんがの事業をたくさん開催してほしい」とか、毎年、内容が徐々に変わってきていて、始まって13年たつんですが、着実に浸透してきていると思っています。
私は、ソフト事業は大事ですが、ハードもやっぱり大事なんじゃないかなと思っております。今回の三市合併によってようやく「ユーモアセンター」の動きが見え始めてきたという状況から、これから事業をどのように展開していけばいいのかを考えてみると、これまで行政側から行っていた事業が多かったという感じがします。今後は、事業の主体を市民の方にだんだん移す時期にきてるんじゃないかと思っております。そういったことをすることで、まんが文化振興にもつながっていくものだと思っております。
|